GW最終日。前日午後9時から6時間ほど飲んで、記憶も行動もうつらうららかな状態で自転車で帰宅中、警察に引き止められて「飲んでますよ」と自白などしていたわけですが、せっかく晴れていると言うことで、友人と秋葉原をうろついてました。



まあ秋葉の話はカスタムフラッグとセンチメンタリズムな状況を作るべくHGエクシアを購入したこと以外は実はどうでもよく・・・帰宅後、3日に行ったものより少々大規模な掃除をしました。

その掃除の際、もうすぐ四捨五入で三十路になる位生きてきて初めての衝撃を受けました。



私「そういえば、掃除機新しいのあるんだっけ?」

母「あるよ、何かでもらったやつだけどね」

私「それじゃ使ってみるかな」



掃除機を持ち出した時点でネコがすごい勢いで逃げるのは特に関係ないのですが、いつものように電子ジャーのコードを抜いてからコードを刺し、3つに分割された部分をバスターガンダムのように連結し、「無限の彼方へ、さあいくぞ」と起動しようとした刹那・・・






・・・違和感



・・・耐え難い違和感



手元にボタンがない!



人生において10個程度の掃除機と拳を交えてきたはずですが(もちろん家以外も含め)、こんな屈辱は初めてです・・・パンツ一丁でボタンを求めて手探りしていた様子は痴態以外の何者でもありません・・・

・・・よくよく見れば本体についているわけですが、何故そんな構造にしてしまったのか・・・掃除機と言うものが、作業開始から作業終了まで一切スイッチを切らないのが通説であるのならそれも仕方なく思います。

しかし、掃除機をかけてる時と言うのは予期せぬことが多く起こるもの、長袖の袖の部分や小銭を吸い込むなど日常茶飯事、そんな時に本体まで手を伸ばすなどという生ぬるいことしていては取り返しがつかなくなります。北・偶機待ちに匹敵する暴挙です。

さらに、かける場所が急に狭くなった場合など、臨機応変に分離・結合しなくてはならないケースも多々あり、その際も然りです。



コスト面とか何かしらメリットがあるのかもしれませんが、個人的には深夜に目覚まし時計の電源が切れて寝坊した時以来の衝撃でした。



まあ後々ググってみたら結構あるみたいなんですけどね・・・とりあえず、「手元にボタンがない 掃除機」ググるとこの掃除機が出てきます。